「高崎って言われるたびに、安中だよって心の中でつぶやく夜」

今日も夕方になって、板鼻宿の通りがちょっと静かになる時間。

中山道って、昼はわりと普通なんだけど、夜になると急に顔つきが変わる。車の音が引いて、遠くで犬が吠えて、どこかの家の風呂の換気扇が回る音がして。

その中で、うちの焼き場だけが「ジッ」って鳴る。

「高崎の焼肉屋さんですよね?」

電話でも、来店したお客さんにも、まあまあの確率で言われる。

いや、わかる。気持ちはわかる。高崎の方が強いし、伝わりやすい。

でも正確には安中市。しかも中山道・板鼻宿。宿場町。

毎回訂正するほどでもないから、「あー、そうですねー」って流す日もあるし、

「実は安中なんですよ」って言う日もある。

どっちが正解かは、正直いまだにわからない。

仕込みしながら、タンを触ってるときにふと考える。

この場所でやる意味って、なんなんだろうな、って。

昼に仕込んだタレ、ちょっと甘く振りすぎた気がして、

「やっちゃったかも…」って独り言が出る。

でももう混ぜたから戻れない。まあ、夜の匂いに紛れれば、わかんないか。たぶん。

焼き場に立つと、匂いが服に染みてくる。

音もある。網に脂が落ちる音、換気扇の低い唸り、皿が重なる音。

全部が混ざって、夜になる。

群馬の夜って、派手じゃないけど、こういう音はちゃんと残る。

たまに「もっと映える店にした方がいいんじゃない?」って言われる。

SNSとか、照明とか、メニュー名とか。

わかるけど、今のところはこの感じでいいかな、って思ってる。

焼き場の熱と、ちょっと古い建物の匂いと、板鼻宿の夜。

これがなくなると、たぶん俺がブレる。

失敗も多い。

昔、仕入れを読み違えて、ホルモン余らせた夜があった。

冷蔵庫の前で、「これどうすんだ…」って立ち尽くした。

結局、次の日のまかないがやたら豪華になっただけだけど、

ああいうのは地味に効く。

「ここ、高崎から近いですね」

それもよく言われる。

近いけど、違う。

でもその“ズレ”が、案外ちょうどいい気もしてる。

都会でもなく、完全な田舎でもなく、宿場町の残り香みたいな場所。

今日も夜が深くなって、板鼻宿が静かになってきた。

焼き場の火を少し落として、匂いが残ってるか確認する。

正解かどうかは、正直わからない。

でもまあ、今日もちゃんと焼いたし、音も匂いもあった。

それでいい夜、ってことにしてる。

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